立秋です

  秋立つ日よめる  藤原敏行朝臣

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

『古今和歌集』巻第4 秋歌上

さあ、今日から「秋」です。

といいつつも、先ほど今期の授業、全部終了。さて、採点採点。

さすがにちょっと疲れてしまいましたので、本日は早寝をしたいと思います。

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国立国会図書館蔵『春日権現霊験記絵』(天明4年(1784)模写)より

*原本は 鎌倉時代、延慶2年(1309)頃 高階隆兼画(三の丸尚蔵館蔵

2018年に「春日権現験記絵-甦った鎌倉絵巻の名品-」(修理完成記念)がありました。

板床に畳を敷き、尼様は蚊帳のうちで眠れますが、そばの女房は蚊帳の外で扇であおぎつつ眠ります。

まだまだ、暑い日が続きます。みなさまも熱中症などにお気を付けくださいますよう。

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夏と秋と行かふ空の通い路は 明日は立秋

『古今集』巻第3 夏歌(168)

みな月のつごもりの日(ひ)よめる

夏と秋と行かふそらのかよひぢはかたへすずしき風やふくらん

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東京国立博物館蔵 『古今和歌集』(附 永正十六年牡丹花肖柏筆伝授1通/文亀三年牡丹花肖柏筆覚書1通/寛文四年烏丸資慶筆上包紙1枚)

室町時代、永正16年(1519)の伝授書などとともに伝わる『古今和歌集』から夏の部の終わりです。

先日の166「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらん」

そして、167「塵をだにすゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝るとこ夏の花」

に続く部分です。

翻字(濁点を加えました)は

「  月のおもしろかりける夜あか月がたによめる ふかやぶ

夏の夜はまだよゐながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらん

   となりよりとこなつの花をこひにをこせたりけれ

   ばおしみてこのうたをよみてつかはしける みつね

ちりをだにすへじとぞ思さきしよりいもとわがぬるとこ夏の花

   みな月のつごもりの日よめる

夏と秋と行かふそらのかよひぢはかたへすずしき風やふくらん」

明日は立秋です。

まだこんなに暑いのに?というところですが、太陽黄経が135度の日です。

ややこしいことに、新暦8月7日は、太陰暦(旧暦:月の運行による暦)では、6月18日。

まだ水無月の半ばだったりします。

令和2年の水無月(みなづき)晦日(つごもり)、6月29日は新暦8月18日(火)。

ああややこしや、ややこしや。

 

先日ご質問のあった、かな文字学習の入門に手頃な一冊。

笠間書院の『字典かな』です。

漢字も読めるようになりたい。

ならば、『くずし字解読辞典』がおすすめです。

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夏の夜はまだよひながら 伝伏見天皇

  月のおもしろかりける夜、あかつきがたによめる ふかやぶ

夏の夜はまだよひながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ

『古今集』巻3(166) 夏歌 (百人一首36)

月がきれいであった夜の暁に詠んだ歌 清原深養父

夏の夜は(短くて)まだ宵だと思ううちに、(もう)明けてしまったのだが、雲のどこに(先ほどまでの月は)宿っているのだろうか。

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数年前に東京国立博物館で見た伝伏見天皇(1265~1317)筆「歌集切」です。

表装の青色が夏の夜の暁方のようにも感じられます。

Dsc05205-a雲紙の藍色も夜の雲を思わせます。

こちらは「夏の夜はまだよひながらあけにけり 雲のいづくに月やどるらむ」と、

「あけにけり(もうすっかり夜が明けてしまった)」としています。

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8月5日の月の出は19:59、月の入りは5:58。

    日の出は4:52、日の入りは18:41。

この写真は、8月4日0:17の写真で、月と木星(うっすら土星)を撮ったものですが、書を眺めつつ夏の短い夜を楽しむのもまた一興といったところでしょう。

番町皿屋敷のように1枚、2枚と採点し続けて、ふと空を見ると満月が空に見える今日この頃です。

 

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月と土星と木星

空の海に雲の浪たち月の舟星の林にこぎかくる見ゆ

『拾遺和歌集』488 「詠天 人まろ」とある歌です。

昨夜は月齢12.4。十三夜に近いの月ですので月の舟という形ではありませんが、月と星というとこの歌が思い浮かびます。

月のそばに土星と木星が見えました。天体望遠鏡があればもっとはっきり見えるところでしょうが、残念ながらこれが精いっぱい。

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文政6年(1823)刊『遠西観象図説』上・天象図・六 には

「望遠鏡を以て土星の大輪及び木星の横紋を見、且つ六星の全径を測りて其比例を示せり」
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(国立天文台図書室蔵)

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100265569/viewer/46

尾張の蘭学者、吉雄俊蔵口授、日向草野養準筆記の天文学書。

200年前もこうして空を観察していた人々がいると思うと感慨深いものがあります。

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蜂は何匹いらっしゃいますか?

蜂の巣の撤去を依頼するために、管理会社さんに電話しました。

「蜂は何匹いらっしゃいますか?」

うちに「いらっしゃる」蜂はミツバチではなくアシナガバチですが、脳裏に浮かんだイメージはこんなかんじ。

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梅雨明け、8月1日 蜂の巣発見(ハチ画像注意)

8月になりました。

晴天です。ようやく梅雨明けです。

洗濯物を外に干そう!と出たところ視界の端に飛ぶ物が見えました。

蜂です。

7月の梅雨の合間に一度巣を作られてしまい、

業者さんに撤去していただいたのですが、雨で外に出ないうちに再び到来していました。

 

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「戻りバチ」というそうです。今度は、エアコンのホースのテープの隙間。

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「蜂が 家に 巣を 作つくるときは、 火災の 恐れが 無い」〔土佐の俗信集〕

「蜂が南側の軒に巣を作る年は大風なし」〔諺語大辞典(1910)〕【故事俗信ことわざ大辞典】

そんな俗信を読んでいる場合ではありません。

「戻りバチの対策と駆除」https://www.hachi-seo.jp/news/return.php

雨続きで家周りまで見ていませんでした。

みなさまもどうぞお気を付けください。

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久しぶりのブログ

久しぶりにブログを見たところ、設定が変わりすぎてびっくり。

さて、なんとか再開したいと思います。

写真は、小金井公園の紫陽花です。

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1月7日は人日の節句

五節供(節句)とはつぎの5つ。
1月7日の人日の節供
3月3日の上巳の節供
5月5日の端午の節供
7月7日の七夕の節供
9月9日の重陽の節供

人日の節供とは、古代中国の仙人、東方朔の占書に、正月1日に鶏を占い、2日には狗を占い、3日には羊を占い、4日には猪を占い、5日には牛を占い、6日には馬を占い、7日には人を占うとあることによるといいます。

『事物紀原』(中国の類書)
「東方朔占書曰、歳正月一日占鶏、二日占狗、三日占羊、四日占猪、五日占牛、六日占馬、七日占人、八日占穀、皆晴明温和、為蕃息安泰之候、陰寒惨烈、為疾病衰耗」

また、『荊楚歳時記』に「正月七日為人日、以七種菜為羹、翦綵為人」、七種の菜を羮(あつもの)とするとあります。

日本では、正月初子日(ねのひ)に小松引や若菜摘みをするといった、「子日遊(ねのひのあそび)」、春の野遊びがあり、これと人日の習俗が合わさったものでしょうか。

『国史大辞典』を見ると、つぎのようにあります。

子日遊 ねのひのあそび

 正月の初子(はつね)の日に催された遊宴行事。小松引き・子忌(ねいみ)ともいう。
 『倭訓栞』に「正月初の子日、野辺に出て小松を引きて祝とす、子の日を根延(ねのび)によせて、根ごめにするなるべし、小松も又子松の義に取るなるべし」とある。
 この日山に登り遠く四方を望めば、邪気をはらい憂悩を除くとする中国の風習に拠るとされるが、その根底には、わが国の春の野遊の習俗が存した。
 行事の内容は、小松引きと若菜摘みとがあり、この若菜を長上者に贈り、羹(あつもの)にして長寿を祝った。また、この日、宮中では宴会が行われ、子日宴と称した。

 『続日本紀』天平十五年(七四三)正月壬子(十二日)条に「御石原宮楼(注略)、賜饗於百官及有位人等」とあり、『文徳実録』天安元年(八五七)正月乙丑(二十六日)条に「昔者上旬之中、必有此事、時謂之子日遊也」とみえ、宮中においては、子日の行事は、他の節会などと同様、宴会行事として、奈良時代から催されていた。

七草 ななくさ

 春の七草を入れた七草粥は正月七日に食べる粥。室町時代以後行われる。
 若菜の羹(あつもの)、七草の羹の流れを汲むもので、若菜の儀と同じく万病・邪気を除くとされた。
 「七種之御粥」(『光台一覧』)、「若菜の粥」(『幕朝年中行事歌合』)、「菜粥」(『日次紀事』『日本歳時記』)、「七種菜粥」(『東都歳時記』)などとも呼ぶ。

 粥を煮る前、六日の夜から七日の暁に七草打ちをする。爼板(まないた)に薺(なずな)、または七草を置き、歳徳神(としとくじん)の方に向いて、薪・庖丁・火箸・摺粉木・杓子・銅杓子・菜箸など、台所の七つ道具で爼板を打つ。
 そのとき「唐土(とうど)の鳥が日本の土地へ、渡らぬ先に、なづな七種はやしてほとと」などとトントン拍子をとりながら囃す。江戸では終りのところを逆に「七種なづな」(『近世風俗志』)という。
 この鳥は鬼車鳥、隠飛鳥などいろいろな名で呼ばれ凶鳥とされたので、音をたてて追い払ったのであるが、本来は「鳥追い」で、害鳥を追い払い五穀豊穣を祈る予祝行事が七草粥に結びついたものとみられる。

[参考文献]
『古事類苑』歳時部、山中裕『平安朝の年中行事』(『塙選書』七五)、中村義雄『魔よけとまじない』(『塙新書』五一)

豊国(歌川国貞)「春遊娘七草」(早稲田大学演劇博物館蔵)
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七草打ち


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亥年にちなんで

今年は己亥年。
神戸屋キッチンでイノシシ型のチョコパイを見つけました。
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イノシシと言えば「忠臣蔵」五段目
北斎「〔仮名手〕本忠臣蔵五段目」より イノシシ
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山崎街道 出合いの段 早野勘平と千崎弥五郎
       二つ玉の段 与市兵衛と斧定九郎
この絵はこの二つの場面が描かれていますが、
その間に、イノシシが描かれます。

塩冶藩に戻れなかった勘平は猟師になりました。そこで、出会った元同僚の千崎弥五郎。
勘平の妻の父である与市兵衛は、元塩冶藩士で身を持ち崩した斧定九郎にお金を奪われ殺されます。
その直後、イノシシと間違えられて定九郎は勘平に鉄砲で撃たれてしまいます。

そのイノシシがしっかりと描かれているのがこの絵。

ところで、ボストン美術館に年賀状コレクションがあります。
New Year's Card: Boar Rushing in the Rain”と題されたこの絵は、
明治44(1911)年、辛亥年の年賀状です。
定九郎の姿ははっきりと見えませんが、雨の中の破れ傘でそうとわかります。
そこに向かってくるイノシシ。
定九郎の末路を思うと縁起がいいのか悪いのか。
歌舞伎好きの人の年賀状でしょうか。

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初夢はいかがでしたか

1月2日というと、初夢は今朝の夢だったのでしょうか。

と、辞書を見てみると

○日本国語大辞典

はつ‐ゆめ 【初夢】
年の初めに見る夢。

(イ)節分の夜から立春の明けがたに見る夢。

*山家集〔12C後〕上「たつ春の朝よみける 年くれぬ春来べしとは思ひ寝にまさしく見えてかなふ初夢」

*俳諧・増山の井〔1663〕正月「初夢 立春の朝の夢也」

*随筆・嬉遊笑覧〔1830〕八「いつにても節分の夜のを初夢とするなり。今江戸にて元日をおきて二日の夜とするものは其故をしらず」

(ロ)大晦日の夜から元日の朝にかけて見る夢。または正月元日の夜の夢。また、二日の夜の夢。宝船の絵を枕の下に敷いて寝ると吉夢を見るといわれる。《季・新年》

*俳諧・曠野〔1689〕二・歳旦「初夢や浜名の橋の今のさま〈越人〉」

*俳諧・改正月令博物筌〔1808〕正月「初夢(ハツユメ) 大晦日夜より元日あかつきにいたるまでに見る夢也」

*随筆・守貞漫稿〔1837〜53〕二三「正月二日〈略〉今夜の夢を初夢と云」

旧暦(太陰暦)と異なり、現代の暦(太陽暦)では、立春と正月が離れているので、このように分かれざるを得ない。
ちなみに、2019年の節分は2月3日で、立春は2月4日、旧元日は2月5日。

日本大百科全書では、

 新しい年を迎えて初めてみる夢。その吉凶で年間の運勢を判断する「夢占(ゆめうら)」の習俗は古く、以前は節分の夜(立春の朝)の夢を初夢としたが、暦制の関係から除夜や元日の夜に移り、やがて「事始め」の正月2日の夜の夢に一定したらしい。

 すでに室町時代には正月2日夜「宝船」の紙を枕(まくら)の下に置いて寝る風習が始まっており、江戸時代に下ると「宝船売り」が江戸の風物詩として広く親しまれるようにもなっていた。七福神の宝船図、「ながきよのとおのねぶりのみなめざめ、なみのりふねのおとのよきかな」という回文の歌などもつとに固定したらしい。

 ともかく初夢に特別の関心が寄せられると、こうした「吉夢」をみようというまじないが生じ、また「悪夢」は宝船に添えて川に流す風習や、夢を食べるという架空の動物「バク」の絵を用いるといった「夢たがえ」の風習も生じた。「夢占」という、夢で吉凶を判ずる庶民の伝統は古いが、とくに年初の「初夢」には関心が強く、こうした「初夢」の習俗をおのずから生ずることになったのである。

世界大百科事典では、

 正月に初めて見る夢のことで,その内容からその年の吉凶を占う夢占の意図があった。  正月2日が仕事始めであるので,2日に見る夢を初夢といい,〈一富士・二鷹・三茄子(なすび)〉を縁起の良い夢の代表とした。一部には〈夢は逆夢〉といい,逆の結果を予想する所もある。

 中国の俗説を受けて,良い夢を見るために,夢を食うという貘(ばく)を描いた紙を枕の下に入れて寝る習俗が,宮中や公家を中心に広まり,室町時代には宝船の絵を敷いて寝るようにもなった。

 江戸時代,とくに浮世絵の隆盛をみる元禄期から,この習俗は一般庶民の間に広まって,七福神も付け加えられ,元日には,〈お宝,お宝〉といって絵を売り歩く宝船売の姿が見られた。

 これらの絵は,悪い夢を見た場合には,翌日の朝に川などに流す習慣で,前年の厄をそれにつけて流し去る意図もあった。元来は,邪鬼を払うための呪具を,枕の下に敷く風習が変化したものである。

 初夢は,西行の《山家集》にも見られるように,古くは節分の夜,すなわち立春の朝の夢をいったらしく,上方にはその風習が残ったが,江戸では大晦日や元日の夜,後には2日の夜を初夢とした。夢は,人間と神仏が交わる回路と信じられており,初夢は,年の変り目という時間のさけめにあたって,夢枕に立つ神仏のお告げを知る夢占の性格が強いのが本来のあり方である。

B国立国会図書館蔵「寶船之圖」

船に乗っている七福神はお馴染みですが、酒壺の上で柄杓を手に踊っているのは猩猩。能の猩猩(孝行息子に汲めども尽きぬ酒壺を与えた)ですが、絵によっては、酒壺と柄杓だけで表現したものも。

七福神と言えば、夷(えびす)・大黒・毘沙門(びしゃもん)天・弁才天・福禄寿・寿(じゅ)老人・布袋(ほてい)。
ただし、寿老人は福禄寿と同体異名だとして、代りに吉祥天または猩猩(しょうじょう)を配することもあるようです。

正月2日は、「事始め」。「吉書始め」に「書き初め」の日。
さて、そろそろお仕事を始める時分でしょうか。

かき‐ぞめ 【書初】

新年に初めて毛筆で文字を書く正月の行事。昔から、一月二日(江戸時代、寺子屋などでは五日)に恵方(えほう)に向かってめでたい意味の詩歌成句などを書いた。ふではじめ。吉書初(きっしょはじ)め。試筆。かきはじめ。《季・新年》

*満済准后日記‐応永一八年〔1411〕正月一日「声明始〈略〉書初等如年々」

*俳諧・玉海集〔1656〕一・春「かきそめの真行草や三ケ日〈重員〉」

*日次紀事〔1685〕正月二日「書初(ソメ)今日公武両家及地下良賤各々試筆。是謂書初」

*浮世草子・西鶴織留〔1694〕一・一「親仁の書初(カキソメ)に毎年さだまって遺言状をしたため」

*諸国風俗問状答〔19C前〕阿波国高河原村風俗問状答・正月・一二「此日書初と申て、先執筆仕、目出度詩又は歌を書候て年徳神へ供」

語誌

起源としては、鎌倉時代より行なわれた武家の「吉書初(きっしょはじめ)」が考えられる。武家の「吉書初」は朝廷で行なわれていた「吉書奏(きっしょのそう)」を模したもので、年首や将軍代始などに行なわれた。また、禅宗寺院でも正月に字をしたためることが年頭の行事として行なわれており、これが庶民に広まったものと思われる。【日本国語大辞典】

美術館・博物館、公園なども今日・明日から始まるところが増えています。
東京国立博物館では、「博物館に初もうで」
これも楽しみの一つ。「吉書」ならぬ「吉画」の見始めもよいものです。

ただ、近年「日本の伝統」というキーワードをやたら聞くようになりましたが、
「伝統」の本質は、「変化」だと私は思います。

「行事」とは、時代に、土地に合わせて何らかの文化・慣習が作り出されたもの。
それが、その時なぜ行われ、改変されたのか、「昔からあるから」「伝統だから」ということではなく、
その由来や来歴、今行うことの意義を理解してこその文化・慣習でしょう。

いや、そんな理屈抜きにしてもイベントは学んでこそいっそう楽しいもの。
お正月という年の区切り、この時期ならではのもの、大いに楽しみたいものです。

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