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2015/05/05

端午の節句で

5月5日は端午の節句
 ということで、近所で柏餅と粽、ついでに麩まんじゅうを購入。

粽(ちまき)
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ほどいてみると、なかは葛製
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柏餅
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麩まんじゅう
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あけてみると
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粽と麩まんじゅうは笹の葉の、柏餅は柏のよい香りがします。
端午の節句は、ちょうど新緑の時節で、温かく(日によっては暑く)なってくるので、このようなすがすがしい香りでさっぱりしたいところです。

【日本国語大辞典】では次のような解説がなされています。

(「ち(茅)まき(巻)」の意で、古く茅(ちがや)の葉で巻いたところからいう)笹やまこもで、もち米・うるち米の粉を巻き、長円錐形に固めて藺草(いぐさ)で巻いて蒸した餠。端午の節供に食べる習慣は、楚人が、五月五日に汨羅(べきら)の水に投身した屈原(くつげん)をあわれんで、竹の筒に米を入れて汨羅の水に投げる遺風がその起源だという。かざりちまき。《季・夏》

*新撰字鏡〔898〜901頃〕「粽〈略〉知万支」

*古今和歌集〔905〜914〕物名・四六七・詞書「ちまき」

*古今著聞集〔1254〕一八・六一八「長谷前々大僧正、五月五日、人々にちまきをくばりけるに」

*言継卿記‐永祿一二年〔1569〕四月二四日「自摂取院被呼之間罷向、ちまきにて酒有之」

*俳諧・炭俵〔1694〕上「文もなく口上もなし粽五把〈嵐雪〉」

*随筆・守貞漫稿〔1837〜53〕二四「京坂にては男児生れて初の端午には親族及び智音の方に粽を配り」

*風俗画報‐一五九号〔1898〕五月「五日〈略〉又粽子(チマキ)、柏餠を製して食し、四隣に贈与するを慣習とす」

*それから〔1909〕〈夏目漱石〉一四「葛の粽(チマキ)を、深い皿に入れて持って来た」

五月五日に食べる風習の起源としては屈原伝説の他に、天竺の蘇民将来が牛頭天王のために巨旦将来を退治した時、巨旦の髪の毛が粽のようだったので、彼が投身した五月五日に粽を食べるようになったという伝承もある。また、粽の長巻は巨旦の舌になぞらえて食べるのだとも伝承されている。

密家では粽を食べる時、クマ・キリバヤ・ダイバ・アラムシャ(クマは牛、キリバヤは頭、ダイバは天、アラムシャは王の梵語)と唱えるという。また、アラムシャと荒武者の連想から、とりわけ武家の節物として必須のものとされ、「あら、むしゃむしゃ」と食べたともいう。

角粽、錐粽、飴状の粽、五色粽、数珠の様な百索粽、その他さまざまな種類が見られ、特に京の道喜粽は入念に精製され、禁中に献上された。徳川幕府でも、端午の節供には、三家三卿の家門から献上された。

「あら、むしゃむしゃ」って初めて聞きました。
とはいうものの、学生さんに聞いたら柏餅はともかく、「ちまき」というと中華ちまきのイメージの方が強いよう(地域差?)。確かに関東では柏餅の方が一般的なのと、やはり食べやすさでしょうか。

ツイッターにこんな記事が。いろいろあるんですね。


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